残念3
学力とか学歴とは全く何が何だか分からなかった。あまり目立たなかったと思うが、小学生3年生から嫌々ながら6年生まで数回、また連続で学級委員にさせられた。本当に嫌だった。人の意見を聞いて、皆んなをまとめるのが苦手であった。数値について記憶が定かではないが、毎年実施される知能テスト(IQ)は常に高得点であった。180くらい(?)。国語、特に、漢字は良く勉強した。新聞を読むためだったかも知れない。また、本がある家ではなかったので、購入してくれた辞書や百科事典を良く読んだ。中学に入り、仲良くなった友達から何で"かいせい(開成)"に行かなかったのかと聞かれた。と言われても"かいせい"が分からなかった。中学1年生までは学校の授業だけでなかなか良い成績を残すことができた。それ以降、数学が全く理解できなくなった。振り返って見ると、小5になると、今まで学校が終わると遊んでいた友達が消えた。皆、学習塾にいた。何をしているのかとの興味もなく、遊べなくて大変なんだ、可哀想と思っていた。皆のその後の進路は知らず。良い成績を取る事の意味が分からなかった。残念。
残念2
小学生4年から2年間珠算教室へ入学。本当にやりたかったのは珠算ではなく、教室か主催している野球倶楽部に入り野球をする事。34番の背番のユニフォームを獲得。3年生から友達と始めた草野球を極めたかった(笑)。残念ながら草野球が忙しく、倶楽部参加の時間はあまり取れなかった。5年生になると草野球チームは大人相手に試合に挑んでいた。が極めず。
一方、珠算は5級の試験に合格したころには、1級の暗算が難なくできた。が極めず。
国会議員の教育、資格についての考察(仮)
1.紛争国への3年間の赴任withgout外務省・政府からの特別な支援・配慮なし。一般人として生活をする。
2. 給与は居住する国の一般層と同レベル
3. 過疎地域への2年間の赴任as a general citizens.
4. 日本語以外に1外国語の理解
1月2日 白黒
突然「和久田のことどう思う?ー」脈略に無く聞かれた。
あの時の返答が違っていたら平取は約束されていた可能性が
120%あったと15年経ち思いを巡せた。これも突然堀栄三さんの
父上の言葉からだった。
今の自分が全く違った生活をしていたのかと思うと世の中
に疎い、幼かった自分であったことを懐かしく思い返した。
深く考える、常に考えている必要があることを何故しなかった
のか悔やんだ。
同様のミス判断をしたことがもう二度あった。